橋本聖子さんの生きる力と和食

 橋本聖子さんの聖子という名前は,1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催の5日前に生まれたので,聖火の聖を取って、聖子としました。
 オリンピックには7回出場していますが、順風満帆の競技生活ではありませんでした。小学校3年生の時,重い腎臓病を患って、2か月入院しました。その後,2年間は、体育の授業も見学したそうです。
 スケートの許可が出たのは中学校1年の冬です。高校2年生の時には.全日本のチャンピオンになっています。トレーニングの過酷さは想像を絶します。
 高校3年生の秋に,再び腎臓病が再発します。トレーニングができない,オリンピックに出られないかも知れない不安から胃に穴が空き、脱毛症になり,さらに自力で酸素を吸うことができない「呼吸筋不全症」になります。
 そのとき以来,深呼吸はできなくなり,成人女性の平均3000~4000ccと言われている肺活量は彼女の場合,最低で800ccになります。院内感染でB型肝炎にもなり,「腎臓病」「呼吸不全」「肝炎」の三重苦になりましたが,夢を諦めず,食改善,体質改善に取り組みました。克服し,1年半後のサラエボの冬季オリンピックに出場することができました。
 橋本さんが行った食改善は「昔ながらの旬の食材・地のものを使った質のよい和食を食べる」ことでした。
                        参考資料 みやざき中央新聞