1955年(昭和30年),岡山県で乳児4名が死亡し,森永の粉ミルクからヒ素が発見された日です。製造工場は森永乳業徳島工場でした。各地で患者が増え続け,死者113名,患者が1万人を超すまでになりました。9月15日には、森永乳業徳島工場は3か月の営業停止となりました。1972年(昭和47年)8月に、森永乳業は責任を17年目に認め,救済保障を行うと発表しました。
参考資料「食の366日話題事典」