11月2日は、「水俣の漁民がデモ行進した日」

   1959年(昭和34年)のこの日、熊本県不知火湾の有機水銀汚染問題で漁民約1500人が水俣市の新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場へデモ行進をしました。デモ隊と警察隊とぶつかり、乱闘になりました。この時点ですでに76人が発病し、29人が死亡していました。水俣病が問題がクローズアップされた日でもあります。
 1953年(昭和28年)頃から、水俣沿岸で水銀中毒が発生していたが、発生原因が明らかではありませんでした。1956年(昭和31年)5月1日に、新日本窒素肥料の付属病院が原因不明の中枢神経疾患の多発を保健所に報告し、会社が初めて水俣病を確認しました。
                    参考資料「食の366日話題事典」より