1942年(昭和17年)の11月14日から非常体制が強化されて、買い出しが抑制されるようになってきました。買い出しは食糧不足が深刻化したこの頃から急増し、戦後の
1949年(昭和24年)頃まで続きました。買い出しにまつわる悲惨な事件や事故が続発しました。終戦直後の1945年(昭和20年)の10月下旬には東京都内から買い出しに行った人は、1日18万人と言われています。千葉・埼玉・神奈川の3県で買い出されたサツマイモは1800トン(一人当たり10キログラム)にのぼりました。
また、1945年のこの日には、東京の日比谷公園で「ドングリを応用した食料子供会」が開かれました。
好きなものを好きなだけ食べることができる今の時代では、想像もできないような食料状況だったんですね。
参考資料「食の366日話題事典」より