1722年のこの日に、8代将軍:徳川吉宗は米の増収を図るために、新田開発の高札を日本橋に掲示しました。これを受けて武蔵野台地の開発、印旛沼の干拓、利根川と荒川を結ぶ見沼代用水を作る工事などが行われました。この結果、8年間に50万石の増収になりました。1人当たりの年間消費量を1石(150kg)とみると、50万人分に相当します。
参考資料「食の366日話題事典」