理事長あいさつ

2019年

5月

01日

令和元年のスタートです

 平成から令和になり、日本中がお祝いムードとなっています。「今まで培ってきた大切なものは引き継ぎながら、新しいことにもチャレンジしたい」という気持ちがわき起こってくる令和元年です。現場の声を聞き、寄り添いながら、常に進歩する徳島県学校給食会でありたいと思っています。これからも栄養教諭・栄養職員や調理員をはじめ学校給食関係者との話し合いを大切にしたいと考えています。よろしくお願いします。

理事長からのおすすめ情報

2019年

11月

22日

11月22日は「回転寿司の日」

  皆さんもよく知っている回転寿司、その記念日が11月22日です。
 回転寿司は、工場のベルトコンベアをヒントに生まれました。庶民向けの「立ち食い寿司屋」を営んでいた元禄産業の白石社長は、昭和28年にアサヒビールの工場を見学していたとき、アイデアが浮かんだそうです。ビールがベルトコンベアの上に乗って流れているのを見て、寿司がお客さんの前を流れたらと思ったのです。 
 コンベアの材料はさびないステンレスを使用し、三日月型の板を組み合わせてカーブを克服し、4年がかりで作り上げたそうです。これを使った「元禄寿司」の1号店が昭和33年に,近鉄布施駅北にオープンしました。
 このシステムが広く知られるようになったのは、昭和45年の大阪万博で元禄寿司がこのシステムを紹介したためです。万博に来た人は,このシステムに驚き、まねをする人があらわれてきました。その後、石川県に本部をおく石野製作所が「くるくる寿司」を広めると共に、寿司のコンベアを積極的に販売を始め、全国に広がりました。
 回転寿司の1皿100円という安さが、寿司を身近なものにし、気軽に寿司を食べることができるようになったのではないでしょうか。

2019年

11月

22日

新給食は生徒指導の大切な場 その1

   尾木ママで有名な尾木直樹さんのお話です。「学校を元気にする50のルール」という本の中で給食について語っているページがあるので、何回かに分けてお話をしたいと思います。
 教室の給食風景を見れば、その学級のすべてが分かると言っても過言ではありません。給食の配膳から後片付けまでの子どもたちの動作や表情など一連の流れを観察するとよく分かります。給食のひとときが、単に食べるための食事時間にすぎないのか、気持ちよく創意あふれる規律が機能している、文化としての食事になっているか、判断することができます。
 たとえば、学級崩壊している学級では、給食風景はきわめて乱雑で、野蛮でさえあります。給食係の服装もバラバラで、帽子やマスクをきちんとしている子はごくわずかです。配線にもずいぶん時間がかかっています。「もっと入れろよ」という大きな声が聞こえてきます。いじめられている子の席は他の子どもの席から大きく離れています。
 次回は具体的な事例をあげながら話の続きをしたいと思います。

                     「学校を元気にする50のルール」より

2019年

11月

21日

11月21日は「フライドチキンの日」

   皆さん、今日は、フライドチキンの日です。日本のケンタッキーフライドチキンの第1号がオープンしたのが、1970年(昭和45年)の11月21日です。場所は、名古屋です。この日を記念して、フライドチキンの日としました。
 ケンタッキ・ーフライド・チキン(KFC)と言えば、あの白いひげのカーネル・サンダースを思い出しますね。創始者であるカーネル・サンダースが、「日本ケンタッキーフライドチキンが一番おいしい」と言ったそうです。
  では、カーネル・サンダースについて、少しお話をしたいと思います。
 彼は、レストランを国道沿いで経営していました。とてもおいしい料理を食べさせてくれる店として繁盛しました。ところが、近くに新しくハイウエイができて、お客さんが来なくなりました。そうなると、経営が苦しくなってきます。そして、65歳の時、倒産してしまうのです。財産のほとんどを失なってしましました。
 若くもないし、普通はこれで終わりだと思ってしまいます。ところが、彼は違ったのです。「そうだ、店で一番人気のフライド・チキンを売りに行こう」と考えたのです。彼は、車に圧力釜と独自のスパイスを積んで、レストランを訪ねては、「このフライド・チキンをお宅の店で売ってください」とお願いしたのです。皆さん、65歳を過ぎた老人が、それも見知らぬ老人が売りに来たフライド・チキンをお店の人が買うと思いますか?見向きもしてくれませんでした。
 普通はこれであきらめます。ところが彼は、車で寝泊まりをしながら、自分のフライド・チキンの味を信じ、あきらめずにフライド・チキンを売り続けたのです。訪問したレストランの数は1000を超えたそうです。
 それから15年、彼が90歳になったときには、ケンタッキーフライドチキンは世界48カ国に6000の店で売られるようになったのです。
 町でカーネル・サンダースの人形を見たとき、「この人は65歳のとき、どん底の生活からスタートし、最後まであきらめず、自分が開発したケンタッキーフライドチキンを味を信じ、世界中に広めた人なんだ」と思い出してください。

 

2019年

11月

21日

植物本来の力を引き出す 自然栽培 その2 新しいブログを書く

   作物が育ちやすい環境を整えること、そのことが植物が本来持っている力を最大に引き出すことにつながっていきます。そのお手伝いをするのが、木村秋則さんが提唱する無肥料・無農薬の「自然栽培」です。
 「自然栽培」と有機肥料を使う有機栽培とは違います。有機栽培は、肥料の代わりに堆肥を使い、一部の農薬も使います。
 一方、「自然栽培」は目と手を農薬や肥料の代わりにして、自然の生態を生かすように工夫し、作物を栽培します。また、「自然栽培」は、畑にほとんど手を入れず、放置する自然農法とも違います。
 赤ちゃんが泣いたら、皆さんは放っておかないでしょう。お腹が空いたのか、おむつを替えてほしいのか、泣き声一つで察知して面倒をみているはずです。
 自然栽培も同じです。その植物が何をしてほしいのか。植物になった気持ちで考え、面倒をみます。木村さんは、いつも「もし、自分がリンゴだったら・・」とか「トマトだったら・・」と考えながら作業をしています。その植物が育ちやすい環境を整え、植物のお手伝いをするのが農家の仕事だと思っています。だから、木村さんは、自分のことを「リンゴのお手伝い業です」と言っているそうです。
 なるほどと、思いました。子どもを育て、教育するときの大きなヒントを与えてもらった、そんな気持ちになりました。
                          「みやざき中央新聞」より


2019年

11月

20日

11月20日は「ピザの日」

 今日は、皆さんの大好きな「ピザの日」です。
19世紀にイタリアを統一したサヴォイ家の王妃マルゲリータは、1889年にナポリを訪れました。その記念に当時の有名なピザ職人がピザを献上しました。イタリアの国旗の色(赤のトマト・緑のバジル・白のモッツァレラチーズ)を取り入れたピザを王妃は大変気に入りました。それで、王妃の誕生日である11月20日が「ピザの日」になりました。ピザの名前を見てみると「マルゲリータ」と書かれているのがあります。王妃の名前からきています。
 日本に最初にピザがやってきたのは昭和30年頃です。若者の間で、おしゃれな食べ物として注目をされました。一般の人には東京オリンピックのころ知られるようになり、昭和40年代には、子どもから大人まで知っているおいしい食べ物となりました。そして、昭和60年代に入ると、宅配ピザが登場して、ブームとなり現在にいたっています。気軽に食べることができるおいしい食事として人気が高く、パーティにもよく登場します。

2019年

11月

20日

植物本来の力を引き出す 自然栽培 その1

    奇跡のリンゴで有名になった木村秋則さんの話です。
 「今、日本人の2人に1人が何らかのアレルギーを持っている」と厚生労働省は発表しました。また、日本人の死因の第1位は、昭和30年代までは心臓疾患でしたが、現在はガンがトップです。これには、いろいろな原因があると思うのですが、木村さんは食生活が一番大きく影響していると言っています。
 それは、あるデーターによると面積あたりの農薬使用量は、海外諸国を抜いて日本が1位だそうです。また、日本は、世界一の添加物使用国でもあります。木村さんは「ぜひとも今、食の安全について考え、食生活を見直してもらいたい。」と言われています。
 木村さんが、この話をすると「農薬を使わなくなったら、農作物がとれなくなって、日本中が餓死してしまうんじゃないか」と言われます。でも、実際には、農薬や肥料を長年使っていたせいで土が痩せ、病気が出たり、収穫量が減ったりする問題が、今農業の現場で起こってるそうです。
 「土」本来の力を引き出し、植物の力をうまく利用すれば、どんな植物でも十分な収穫量を上げることができると木村さんは言っています。
 たとえば、トマトを肥料なしで育てようと思ったら、まず大豆を植えます。大豆の根は、土の中の窒素分を増やすので、栄養たっぷりの土ができます。また、トマトの苗を寝かせて植えると、茎から丈夫な根がどんどん出て、十数メートルも横に伸びていきます。そして、1本のトマトの苗から無肥料、無農薬で、驚くほどのトマトが収穫できるそうです。
 植物が育ちやすい環境を整えること、それがすべてなのです。
 この話は、教育の中でも言えることではないでしょうか。植物を子どもに置き換えて考えてみると、教育のあるべき姿が見えてくるように思いました。
 さて、次回は木村さんが提唱している「自然農法」についてお話しします。
                                                                                                                                                        「みやざき中央新聞」より

2019年

11月

19日

11月19日は「小林一茶の命日」

    11月19日は小林一茶の命日です。一茶が亡くなったのは1827年の今日でした。毎年、一茶の法要が長野県信濃町にある菩提寺の明恵寺で営まれています。法要の時には、句会と新そば会が行われています。
 「新そば」とは、8月のはじめに種をまき,10月中旬ごろに収穫される「秋そば」のことです。種まきから実がなるまで75日間かかります。
 「夏そば」もありますが、これは6月のはじめに種をまき、9月上旬に収穫されるものを言います。
                                                                                                                            参考資料「食の366日 話題事典」より

2019年

11月

19日

生きることは食べること、日本の食と農業を守りたい その6(最終回)

   木村社長は、何回もの危機を乗り越えて現在の「モクモク手作りファーム」を創り上げてきました。「商品より考え方を売っている」といつも言っています。それは、次のような理由があるからです。
 「会員になるとギフト商品が10%オフになるだけでなく、一緒に田植えをしたり、運動会やクリスマス会を行っています。そういう交流を通して、モクモクの考え方を理解してもらい、共感していただく。そうすると応援してくれ、リピーターになってくれるからです。」
 食育の一環として次のようなこともしています。
「ソーセージづくりをするとき、工場長がブタ1頭を持ってきます。、解体して、『これがロースで、これがヒレ』と部位の説明をします。最後はソーセージをつくって食べるわけですが、私たちが生きていくことは食べることです、食べることは、このブタの命をいただいていることだと言うことを皆さんにお伝えします。ブタは人間に食べられるために生まれてきたのではありません。でも、その命をいただいているのだから、残さないで食ましょうと言うと、子どもだけでなく、大人もしっかり聞いてくれます。」
 また、木村社長は次のことも熱く語っています。
「これからは食育に力を入れていきます。それでないと日本の農業を守れないんじゃないかと考えています。私は、農業は夢とロマンのあるすばらしい仕事だと思って、このモクモクに人生を懸けました。農業は人々の健康を守りる生命産業であり、日本の美しい環境をを守る環境産業だと思っています。」
 農業は、一時は衰退するだけの産業だと思われていましたが、木村社長と吉田専務は、この既成概念を打ち破りたいという夢を今も追いかけています。
                                                                                                                                                                        「致知」より

2019年

11月

18日

11月18日は「米の緊急輸入した日」

   1993年(平成5年)の11月18日は、米の大凶作で緊急輸入することになり、横浜港に第一便が入港した日です。到着したのは、タイ米で7千トンでした。外国産の米が日本に輸入されるのは9年ぶりで、最終的に、平成8年までに総計254万5千トンの米が中国、タイ、アメリカ、オーストラリアの4カ国から輸入されました。
 また、1970年(昭和45年)の今日、味の素が「ほんだし(カツオ風味)」を販売しました。「ほんだし」が産まれて、40年以上がたつんですね。

                    参考資料「食の366日話題事典」より

2019年

11月

18日

生きることは食べること、日本の食と農業を守りたい その5

 農協からの7000万円の借金も返せず、木村社長と吉田専務は途方に暮れてしまいます。倒産の危機です。俺たちは、志は高かったけれど、人生間違ったかなと考え込んでしまいます。
 そんなとき、地元の幼稚園のPTAから「自分たちでソーセージを作りたいんだけど」という電話がありました。そこで、実際にソーセージづくりをやってみると、ものすごい反響を呼びました。キャーキャー言いながら自分の手でブタ肉に味をつけて、練って、羊の腸に詰めて、完成したら拍手喝采。そして、木村社長のところにやってきて「社長、今日は本当に来てよかった。ハムも買って帰りたい」とか「名前と住所を書いておくから、ギフトのパンフレットができたら送ってほしい」と言ってきたのです。要するに体験というニーズを掘り起こしたのです。光が見えてきました。
 ブタ肉とソーセージ、そして新鮮な野菜でバーベキューもするようになりました。野菜の直売所もできました。会員制度をつくり、顧客の組織化にも取り組みました。経営が軌道に乗り始めました。
 そんなとき、またまた危機におちいります。売り上げが伸びないときは協力してくれた農家の人たちが、売り上げが伸び始めると、いろいろなことを言い出したのです。最後には株主総会で、クーデターが起こりました。それを乗り越えたとき、モクモク事業の本当の目的が見えてきました。それをモクモクの7つのテーゼとしてまとめました。クーデターのおかげで目的がはっきりしたのです。
「モクモクの7つのテーゼ」
1 モクモクは、農業振興を通じて地域の活性化につながる事業をします。
2 モクモクは、地域の自然と農村文化を守り育てる担い手になります。
3 モクモクは、自然環境を守るために環境問題に積極的に取り組みます。
4 モクモクは、おいしさと安心の両立をテーマにしたモノづくりを行います。
5 モクモクは、「知る」「考える」ことを消費者とともに学び、感動を共感する事業を行います。
6 モクモクは、心の豊かさを大切にし、笑顔が絶えない活気ある職場環境をつくります。
7 モクモクは、協同的精神を最優先し、法令や民主的ルールに基づいた事業運営を行います。
 モクモクは、商品でなく、モクモクの考えを売っているのです。
 次回は最終回です。木村社長の考えている食育や今後の農家のあり方等について、書いてみたいと思います。
                                                                                                                                                                       「致  知」より

2019年

11月

17日

11月17日「ドライミルクを製造を開始した日」

   1920年(大正9年)の11月7日に、森永製菓は、ドライミルクの製造を開始しました。そして、翌年の1月1日から販売を始めたのです。森永製菓は、製菓用原料の自給や育児用輸入粉乳の増加に対抗するため、アメリカ製の円筒式乾燥機を購入し、本格的に製造を始めました。
 また、1973年(昭和48年)の今日、日本ハムは、プロ野球球団を買い取り、日本ハム球団が誕生しました。翌年の1月にニックネームを募集し、その結果、「日本ハムファイターズ」となりました。
                                                                                                                              参考資料「食の366日話題事典」より

2019年

11月

17日

生きることは食べること、日本の食と農業を守りたい その4

 「伊賀豚」のブランドで大手スーパーに売り込みを開始しました。毎週土曜日にスーパーに立って試食販売をしてたときに、衝撃的な場面に出合ったのです。時はバブルの真っ最中、桐の箱に入った「手作りハム」が1万円でどんどん売れているのです。原価は10分の1、加工品になると付加価値がつくことを知りました。
 自分たちは、一生懸命おいしく安全なブタ肉を作っても、原料で売っている限り、利益がない。そこで気づきました。たとえば、大手ハムメーカーは球団を持つまで成長しています。小売業もメーカーも成長するけれど、衰退するのは農業だけ。木村社長と吉田専務は、農家の人たちに言ったのです。「これからの時代は自分たちで作って、自分たちで加工して、自分たちで売る。それしか生き残れない。」と。
 賛同する農家から出資金を募り、木村社長と吉田専務は農協の退職金をつぎ込んで作ったのが、25年前の「モクモク」でした。
 「山の中の小さな工房という価値観で、手作りで手間暇かけて品質のいいものを作ろう。そうすれば、絶対売れる。」と信じて取り組みました。でもそれは、間違いでした。売れないのです。隣の売り場の大手のハムはどんどん売れているのに・・・・。半年で、倒産の危機に!木村社長と吉田専務は、途方に暮れてしまいました。
 そんな時、あることがきっかけで光が見えてきたのです。続きは次回で。
                                                                                                                                                                          「致知」より

2019年

11月

16日

11月16日は「不二家が創業した日」

 不二家の名の由来は藤井の姓と日本一の山・富士山からの連想で「二つとない1910年(明治43年)の11月16日、藤井林右衛門は、横浜中区元町2丁目に、不二家洋菓子舗(現:不二家)を創業し、コーヒー、紅茶、デコレーションケーキ、シュークリームを3銭均一で販売しました。今のお金で300円ぐらいです。
家」から命名したと言われています。
                                                                                                                             参考資料「食の366日話題事典」より

2019年

11月

16日

十六団子の日(季節の行事)

   春の3月16日には、山も人里におりてきた田の神様を十六団子でおもてなしをします。11月16日(または10月16日)には、山に帰る田の神様に十六団子をお供えして。お見送りします。米粉で作った団子を16個お供えして、豊作を願い、行事食として家族でも食します。

                                                               参考資料「日本の二十四節気・七十二候」


2019年

11月

15日

11月15日は「かまぼこの日」

    1115年(永久3年)11月15日に、祝膳にかまぼこが初めて出されたことを記念して、「かまぼこの日」にしたそうです。昔は七五三の日に、子どもの成長を祝って、紅白のかまぼこを用意したことも設定の理由になりました。
 かまぼこは白身の魚をすり身にし、それを竹に塗りつけて焼き、その形や色が蒲(ガマ)の穂に似ていることからその名前がついたそうです。これが竹輪かまぼこの起こりで、その後、板つきかまぼこへと発展していきました。
 また、1982年(昭和57年)に日本昆布協会が、子どもたちに「こんぶ」を食べてもらって丈夫に育ってもらおうと、七五三のこの日を「こんぶの日」に設定しました。
                                                                                                                               参考資料「食の366日話題事典」より

 

2019年

11月

15日

11月15日は「七五三の日」

  11月15日は、「七五三の日」です。数え年で男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の時に無事成長したことを祝って、神社にお参りする年中行事です。記念して写真を撮った思い出がある人もいるでしょう。また、七五三には、千歳飴(ちとせあめ)という長い棒のようなお祝いのアメを食べる習慣もあります。千歳飴が細く長いのは、親が子どもの長寿の願いを込めているからです。色も紅白で、松竹梅などの縁起の良い図案を描いた千歳飴袋に入れられています。江戸時代に浅草のアメ売りの七兵衛が売り出したと言われています。

2019年

11月

14日

11月13日は「牛乳営業取締規制を公布した日」

  1885年(明治18年)の11月13日は、警視庁が牛乳営業を取り締まるため、牛乳営業取締規則を公布した日です。内容は次の通りです。
①牛乳搾取の営業をしようとする者は、乳牛の頭数、産地を詳しく書いた申請書と牧場の図面を警視庁に提出し、許可を受けなければならない。
②牛乳販売の営業をしようとするも者は、その搾取営業者の住所や氏名を詳しく書いたものを所轄の警察署に申請し、許可を得なければならない。
③乳汁の容器は鉛や銅その他有害な物質を用いてはならない。
そのほかにも1日に1回以上清掃をしなければならない等、いろいろな取り決めがあったようです。
                     参考資料「食の366日話題事典」より

 

2019年

11月

14日

11月14日は「買い出しの非常体制が強化された日」

  1942年(昭和17年)の11月14日から非常体制が強化されて、買い出しが抑制されるようになってきました。買い出しは食糧不足が深刻化したこの頃から急増し、戦後の 1949年(昭和24年)頃まで続きました。買い出しにまつわる悲惨な事件や事故が続発しました。終戦直後の1945年(昭和20年)の10月下旬には東京都内から買い出しに行った人は、1日18万人と言われています。千葉・埼玉・神奈川の3県で買い出されたサツマイモは1800トン(一人当たり10キログラム)にのぼりました。
 また、1945年のこの日には、東京の日比谷公園で「ドングリを応用した食料子供会」が開かれました。
 好きなものを好きなだけ食べることができる今の時代では、想像もできないような食料状況だったんですね。
                    参考資料「食の366日話題事典」より

 

2019年

11月

14日

「ピーナッツの料理」

    ピーナッツは殻のまま、あるいは殻をとって、炒ったり、ゆでたりして食べます。また、炒った豆をすりつぶして食塩で味付けしてピーナッツバターにしたり、野菜の和えものに利用したりします。ピーナッツ豆腐やピーナッツ味噌にして食べることもあります。岩手県の「南部せんべい」や新潟県の「柿の種」などの焼き菓子にも利用されています。

                                                                         参考資料「食育歳時記」

2019年

11月

13日

「ピーナッツの成分」

   ピーナッツはリノール酸、オレイン酸など脂質をたくさん含んでいるので、カロリーの高い食品です。オレイン酸はコレステロールを下げる作用があります。そのため、生活習慣病予防の効果が期待できます。その他、タンパク質、ビタミンE、ビタミンB1、ミネラル、オリゴ糖など、豊富に含んでいます。

                                                                    参考資料「食育歳時記」

2019年

11月

13日

「鮭の料理」

   バター焼き、ホイル焼き、味噌漬け、フライ、ワイン蒸しなどいろいろに調理されています。焼いた鮭にレモン、すだちなどを添えたり、大根おろしを使うと美味しく食べられます。
 新鮮なものは刺身や鮨で食べますが、寄生虫のアニサキスがいることが多いので、加熱した方が安全です。最近は養殖の鮭も多くなりました。養殖の鮭はアニサキスが少ないと言われています。
 加工品としては新巻き鮭、塩鮭、燻製(スモークサーモン、水煮缶詰などがあります。塩味をつけた鮭の身をほぐしたフレークのおにぎりやお茶づけ、ふりかけなどは、子どもの大好物です。
                                                                         参考資料「食育歳時記」

2019年

11月

12日

「ピーナッツについて」

 ピーナッツは、南米ボリビア高地のグランチャコ地域を原産とするマメ科ラッカセイ属の1年草です。日本では夏に開花して受粉後、ツルが伸びて、地中に入り、80~90日で殻入りの実を結びます。そのため、落花生という名前になっています。実は地中から掘り出して、10日間ほど天日で乾燥します。この種子の部分を食用にします。
 ピーナツは南米で健康に良い食べ物として食べられていました。16世紀以降にヨーロッパに伝わり、全世界に広がっていきました。日本には1706年から1707年に掛けて、中国から伝わってきました。ただ、本格的に作り始めたのは明治に入ってからです。
 
                                                                          参考資料「食育歳時記」

2019年

11月

12日

「鮭の成分」

 鮭には、タンパク質、脂質(IPA、DHA)ビタミンD、E、B2やミネラルが豊富に含まれています。私たちの体細胞の更新に欠かせない核酸やタウリンが多いことも特徴です。このため、生活習慣病や老化防止、骨粗しょう症にも効果的です。

                                                                         参考資料「食育歳時記」

2019年

11月

12日

地始めて凍る(ち はじめて こおる)

   大地が凍り始めるという意味です。夜の間に急に気温が下がり、地面が凍ってしまうこのころ、この寒さでできるのが「霜柱」です。土の中の水分が凍ってできる霜柱は、夜の温度が0.3度くらいでできると言われています。それ以上寒くなると、地面が固く凍りすぎてしまい、霜柱が立たなくなるのです。

                                                               参考資料「日本の二十四節気・七十二候」

2019年

11月

11日

11月11日「チーズの日、ピーナッツの日、鮭の日、きりたんぽの日」

 今日は、さまざまな記念日になっています。「チーズの日」「ピーナッツの日」「鮭の日」「きりたんぽの日」などがあります。
 「チーズの日」になった訳は、朝廷が700年10月に諸国に蘇(そ)の製造を命じたことに由来しています。旧暦の10月は今の暦では11月に当たります。覚えやすいようにと11月11日にしました。チーズの歴史は古く、「旧約聖書」にも出てきます。みなさん、知っていますか。100グラムのチーズを作るのに約20倍の2000グラムの牛乳が必要だということを。
 「ピーナッツの日」は次のような由来があります。1つの殻に豆が双子のように入っていることから、ピーナッツの新豆が市場に出始める11月11日を「ピーナッツの日」と決めたそうです。
  「鮭の日」の由来は、鮭は魚へんに十一、十一と書くことから、11月11日となりました。
 「きりたんぱの日」については、次のような理由で決めたそうです。きりたんぽを囲炉裏(いろり)に立てた形が、1111に似ていることから11月11日を「きりたんぽ」の日にしたそうです。ところで「きりたんぽ」という名前の由来は、形が「稽古用の槍」の頭につける「たんぽ」に似ており、切って食べることから、その名がついたそうです。

              参考資料「食の366日話題事典」「食育歳時記」より

 

2019年

11月

11日

生きることは食べること、日本の食と農業を守りたい その3

 モクモク手作りファームは、木村社長と吉田専務の2人の農協職員が始めた事業です。農協時代は、吉田専務は獣医で、木村社長はブタ肉の販売をしていました。
 1971年(昭和46年)ブタ肉の輸入自由化が始まり、流通革命が起こりました。より安いブタ肉が流通し始め、安いブタ肉が売れるようになってきました。価格競争の時代になってきたのです。
 安心安全で、おいしいものを生活者の皆さんは求めているはずです。でも、生産者の現場では、ビジネスの視点で、より安く、より早く、効率のよさが最優先されるようになってきていました。そこで、大きな会社ではできない「自分たちを含めて、生活者の皆さんが食べたいブタ肉を作ろう」と思ったんです。
 そんなとき、『分衆の時代』という本に出会いました。それには次のようなことが書かれていました。「もう大衆の時代ではない。画一的な商品に大衆が満足する時代は終わった。多様な好みを持つ分衆に合わせ、その都度、商品を作っていく時代だ。」
 その記事を見て、それじゃあ、愛着ブランドを目指そうと思ったんです。地元の人に愛される、土着性の強いブランドです。同じブタを食べるなら、やっぱり伊賀のブタがいいと地元の人に支持されるブランドを作ろうと思ったんです。
 そこで、『伊賀豚』のブランドで大手スーパーに売り込みを始めたのですが・・・・。この続きは次回に。
                                                                                                                                                                    「 致 知」より


2019年

11月

10日

11月10日は「レーガン大統領を迎えた宮中晩餐会があった日」

   1983年(昭和58年)の今日、アメリカのレーガン大統領を迎え宮中晩餐会をしました。料理は、宮中のしきたり通りフランス料理です。メニューは次の通りでした。
○キノコのコンソメスープ
○ヒラメのワイン蒸し
○若鶏の燻製
○牛ヒレ肉のステーキ
○サラダ
○アイスクリーム
○メロン、ブドウ
○ワイン、日本酒などの飲み物
大統領はトマトが苦手だったので、トマト抜きのサラダでした。
                                                                                                                               参考資料「食の366日話題事典」より

2019年

11月

10日

 生きることは食べること、日本の食と農業を守りたい その2

  直営レストランが大阪の「あべのハルカス」の13階にオープンしました。このフロアにはいくつかのレストランが入っていますが、一番多くのお客さんに待ってもらう店だそうです。その秘密は?
 高齢者から子どもまで楽しめる店だからです。具体的に言うと「この店では、子どもが楽しめるように列車の模型を走らせたり、乳搾りを体験できる乳牛のオブジェを置いたりしています。また、直営農場から直送した野菜が並ぶサラダコーナーを設けたり、その場で焼いたパンやソーセージを提供するなど、本物の味を提供するビュッフェレストランだからです。」
 木村社長は、レストランも農業だと言います。1次産業である生産、2次産業である加工、3次産業であるレストラン運営や小売り販売、すべてが農業だと。そして、木村社長「1×2×3」で6次産業を目指そうと言っています。
 その活動の拠点になったのが、「伊賀の里 モクモク手作りファーム」です。敷地は全部で14ヘクタールあります。この山奥の里に、年間50万人以上の人が訪れます。今年で創立25周年を迎えます。25年前は何もなかったこの地に、なぜ、これだけの人が訪れるようになったのでしょうか。創業の原点から次回、お話ししたいと思います。
                          「致 知」より  

2019年

11月

09日

11月9日は「サツマイモ増産日本一が誕生した日」

   1946年(昭和21年)の今日、東京・北多摩で「サツマイモ増産日本一」の農家が誕生しました。反当たり約6トンの収穫があったそうです。この年の全国のサツマイモの反当たりの平均的な収穫が約1.5トンでした。
 全国のサツマイモの生産量は1946年(昭和21年)は、約550万トン。その後、生産量は増え続け1955年(昭和30年)には約700万トンになりました。このときがピークで、その後生産量は減り、平成に入ってからは約100万トンぐらいになっています。
                    参考資料「食の366日話題事典」より 

2019年

11月

09日

ホタテ(旬の貝)

 ホタテは,鮨で食べても、グラタンやパスタ、シチューに入れても、照り焼きにしてもおいしい貝です。また、とれたてのホタテを殻付きのまま焼いて食るのも最高です。
 ホタテの特においしい季節は、冬が始まる頃からです。ホタテの殻は直径20cmになりますが、その大きな貝がらを立てると、船の「帆」を立てたように見えると言うことで「帆立て:ホタテ」となったそうです。

                                                               参考資料「日本の二十四節気・七十二候」

2019年

11月

08日

立冬

   今年の立冬は11月8日です。立冬とは「冬が立つ」という言葉の通り、冬のはじまりのことです。立冬のはじめの日から、立春の前日までが冬ということになります。
 冬という言葉は「冷える」を意味する言葉「冷ゆ(ひゆ)」が変化したものだと言われています。他にも、年が「経つ(たつ)」を意味する言葉「経ゆ(ふゆ)」からきたという説もあります。日本人は厳しい冬の季節も大切にしてきました。

                                                                参考資料「日本の二十四節気・七十二候」


2019年

11月

08日

11月8日は「新聞に東京の牛肉店558軒を超すと載った日」

   1877年(明治10年)の11月8日、『朝野新聞』は「大開化牛肉店ぐんぐん殖へる」と題し、「東京の牛肉店が558軒、年間の屠殺牛の数が7025頭と」報じています。当時、牛鍋屋も550軒を超えたと言われています。この年の全国の屠殺牛の頭数は3万3951頭となりました。また、西南戦争では、兵隊の食事に牛肉が使用されたそうです。
                    参考資料「食の366日話題事典」より

 

2019年

11月

08日

山茶始めて開く(つばき はじめて ひらく)

  サザンカ(山茶花)の花が咲き始めるという意味です。「山茶花」という文字からとった言葉が「山茶」です。「つばき」と読むのは、サザンカはツバキ科の花で、むかしからツバキとサザンカは仲間の花とされてきたからです。

                                                             参考資料「日本の二十四節気・七十二候」

2019年

11月

07日

11月7日は「農政の基本方針を決定した日」

  1980年(昭和55年)のこの日、閣議で農政審議会答申の「80年代の農政の基本方針」及び1990年度(平成2年度)を目標とする「農産物の需要と生産の長期見通し」を決定しました。
 「栄養的観点からも、総合的な食料自給率維持の観点からも、日本型食生活を定着させる努力が必要である」としています。日本型食生活とは米を中心に、魚介類、畜産物、野菜、果物の多様な組み合わせにより、平均的にみると、栄養にバランスのとれた食生活をいいます。
 今、日本型食生活(和食)の良さが見直され、私たちの生活の中に取り戻そうという動きが活発になってきています。このことは、30年も前から言われてきたことなんですね。                                                                                                                            参考資料「食の366日話題事典」より

2019年

11月

07日

11月7日は「鍋の日」

    だんだん寒くなっていくこの季節、冷えた体を温めるのは、やはり鍋料理です。そこで、「1(い)1(い)7(なべ)」となるので、鍋の日となりました。湯豆腐や水炊き、キムチ鍋を体を温めるのもいいですね。

                                                           参考資料「日本の二十四節気・七十二候」

2019年

11月

06日

11月6日は「慶応大学医学部病院で給食を開始した日」

  1920年(大正9年)の今日、慶応大学医学部病院で、直営の給食を開始しました。これをきっかけに、患者のための給食に関心が高まっていきました。今では当たり前になっていますが、最初にスタートさせたときはいろいろ課題もあったと思います。患者の立場にたった病院の給食は、患者にとっては、大変ありがたいものです。
                        参考資料「食の366日話題事典」より

 

2019年

11月

05日

11月5日は、警視庁が生活費の75%でヤミ物資購入と発表した日

 1947年(昭和22年)の11月5日に、警視庁が生活費の75%でヤミ物資購入と発表しました。ヤミ買いの中心になった白米についてみると、ヤミ値は、米1升が1月60円、6月120円、12月180円と1年間で3倍の値上がりになりました。
 10月には、ヤミ買いを拒否した東京地検の山口義忠判事(37歳)が栄養失調で死亡しています。この年の労働者の平均給与が1950円であったことから、このヤミ米がいかに高かったかが分かります。戦後の苦しい生活の様子をこのことからも知ることができます。
 もう少しさかのぼって、1549年の今日、イエスズ会の宣教師のフランシスコ・ザビエルがサンパウロに出した手紙に「日本人は家畜を殺して食べることは少なく、肉食を罪悪視する」と書いています。このことからも、昔の日本の食事は、野菜中心の食事であったことがわかります。                                                                                                                    参考資料「食の366日話題事典」より

2019年

11月

05日

スイーツの道を極めた辻口博啓さんの生き方

   お菓子の神様に魂を預けた世界的なパティシエ、辻口博啓さんの生き方についてのお話です。
 洋菓子のコンクールで3度世界一の座をつかんだ辻口博啓さん。辻口さんの生み出すスイーツは多くの人の心をとらえ、店はいずれも行列ができる人気店になっています。辻口さんはどんな志をもって、スイーツ作りに臨んでいるのでしょうか。そのことについて、辻口さんは次のように述べています。
 「自分の命を懸けられるものを見つけることだと思います。僕には、お菓子の神様に魂を捧げるくらいの熱い思いがあります。そういう信念や情熱をもてるかどうかですね。これがだめなら別のことをやろうとか、流行っているから自分もやろうとか言うのじゃなくて、自分の決めた仕事に対してどこまで突き詰めていけるか、最後まで自分が選んだフィールドで勝負していく決意があるかないかだと思うんです。
 あきらめずに突き詰めていけば、活躍できるフィールドがどんどん広がっていきます。自分の予想をはるかに超えて、世界が広がっていくのを実感しています。すると、そこで刺激を得て、また新しい挑戦ができるんです。」
 和菓子屋のボンボンだった辻口さんでしたが、店が大きな借金を抱え込んで、貧しさのどん底に落ち込んでしまいます。そこから、もがき苦しみながら、這い上がり、何もないところから自分のスイーツを作りだしていきました。そのことが、いろいろな意味で今の力になっているそうです。
                          「現代人の伝記 4」より


2019年

11月

04日

11月4日は「衛生食糧サンドイツの広告を載せた日」

   1893年(明治26年)の11月4日に、初めて、東京・神田の食堂が「衛生食料サンドイツ(サンドウィッチ)」の広告を読売新聞に載せました。
 1食4銭5厘、現在のお金にすると450円ぐらいだったそうです。
 また、1957年(昭和32年)の今日は、NHKテレビ「きょうの料理」が始まった日でもあります。                                                                                                                       参考資料「食の366日話題事典」より 

2019年

11月

04日

山装う(やまよそおう)(自然のようす)

   この時期のように、秋の山が紅葉していくようすを「山装う」といいます。装うというのは、お化粧したり、おめかしをしたりするときに使う言葉です。紅葉した木の葉に彩られ、山がまるでお化粧しておしゃれしているように見えることからできた言葉です。

                                                               参考資料「日本の二十四節気・七十二候」

2019年

11月

03日

11月3日は「サンドウィッチの日」

   サンドウィッチを作り出したといわれるイギリスの4代目サンドウィッチ伯爵(1718~92)の誕生日にちなんで、サンドウィッチのフランチャイズチェーン「神戸屋サンドFCチェーン」が設定したそうです。11月3日との語呂合わせ(いいサンド)も由来だと言われています。
 一説によると、サンドウィッチはすでに紀元前100年頃からあったそうです。
                    参考資料「食の366日話題事典」より

 

2019年

11月

03日

サツマイモ(旬の野菜)

   この時期のサツマイモは、甘みがあってホクホクとやわらかく、まさに秋を代表する味覚の一つと言えます。サツマイモにはいろいろな品種がありますが、私たちが食べている代表的な品種は、ベニアズマとよばれているサツマイモです。サツマイモは、焼き芋にしても、ふかし芋にしても、煮た芋にしても美味しいのが特徴です。栄養的にもビタミン類やミネラルを含み、体の調子を整えてくれます。サツマイモの4割は鹿児島県で作られています。

                                                               参考資料「日本の二十四節気・七十二候」

2019年

11月

02日

11月2日は、「水俣の漁民がデモ行進した日」

   1959年(昭和34年)のこの日、熊本県不知火湾の有機水銀汚染問題で漁民約1500人が水俣市の新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場へデモ行進をしました。デモ隊と警察隊とぶつかり、乱闘になりました。この時点ですでに76人が発病し、29人が死亡していました。水俣病が問題がクローズアップされた日でもあります。
 1953年(昭和28年)頃から、水俣沿岸で水銀中毒が発生していたが、発生原因が明らかではありませんでした。1956年(昭和31年)5月1日に、新日本窒素肥料の付属病院が原因不明の中枢神経疾患の多発を保健所に報告し、会社が初めて水俣病を確認しました。
                    参考資料「食の366日話題事典」より

2019年

11月

02日

楓蔦黄なり(もみじたつ きなり)

   カエデやツタが色づくという意味です。秋をいろどるカエデやツタもあざやかな色をつけて、目でも秋を楽しめる時期です。紅葉を美しくする条件は、日差しがしっかりあること、昼と夜の温度の差があること、湿度がちょうどいいこと、などがあります。

                                                            参考資料「日本の二十四節気・七十二候」 


2019年

11月

01日

11月1日は、「紅茶の日」

   日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に制定しました。1791年のこの日に、暴風雨のためロシアに漂着した大黒屋光太夫は、女帝エカテリーナの茶会に招かれ、日本人として初めて紅茶を飲みました。紅茶が日本に初めて輸入されたのは1880年(明治13年)代でしたが、日本には緑茶があるため、すぐには定着をしませんでした。1952年(昭和27年)、大阪に日本で初めての紅茶専門店[MUSICA]が開店し、東京都内には1974年(昭和49年)に初めて紅茶専門店ができました。

 

2019年

11月

01日

大切なものは、土の中にある

   奇跡のリンゴで有名な木村秋則さんの話です。
 山のタンポポは、畑のタンポポより大きく、虫もついていません。本来、土にはバクテリアや微生物がたくさん生息していて、栄養分を生み出しています。ところが、肥料を与えられると、微生物たちは、もう働かなくてもいいと勘違いして、休んでしまうのです。ですから、肥料を与えると土がやせてしまうので、さらに肥料が必要になるのです。
 無肥料・無農薬栽培に挑戦し始めた当初、畑の土は「うちの主人は肥料を一切与えてくれない。一体何を考えているんだ!」と思ったでしょう。
 それで、バクテリアや微生物たちが会議を開いて、「栄養が足りない。みんなでまた働こう。」ということになったのではないでしょうか。
 私は長い間「土の上」しか見ていませんでした。しかし、大切なのは、「土の中」だったのです。
 木は根から土の養分を吸い上げます。土が豊かなら、木が健康になるのは当然のことです。「目に見えないこと」こそ、本当は大事だということです。
 農薬を使わなければ、リンゴの木は、自分の力で病気を治します。
 この話から、私は、人間も同じかなと思いました。「よい土は、健康な木を育て、よい食事は、健康な体を育てる。」そんな言葉が思い浮かびました。
 
                     「みやざき中央新聞」の記事から 

2019年

10月

30日

10月31日は「ぜんざいの日」

   日本ぜんざい学会では、出雲観光協会と連携して2007年(平成19年)に10月31日を「ぜんざいの日」に制定しました。
 ぜんざいは、出雲地方の「神在餅(じんざいもち)」に関係しています。出雲地方では,旧暦の10月に全国から神々が集まり、このときに出雲では「神在祭(かみありさい)」と呼ばれる神事が執り行われます。
 このお祭りの時に振る舞われるのが「神在餅(じんざいもち)」です。その「じんざい」が出雲弁でなまって「ずんざい」となり、さらに「ぜんざい」となって、京都に伝わったそうです。
 「ぜんざい」発祥の地は出雲であることが、むかしの書物にも書かれています。神在月(かみありつき)の10月の中でも31日になったのはどうしてでしょうか。10月31日を「1031」と書いてみるとよく分かります。「1000(せん)31(ざい)」と読めます。つまり、語呂合わせから31日と決まりました。

2019年

10月

30日

「柿」(旬のくだもの)

 柿の木は,田舎に行けば、よく見かけます。日本人の生活に根付いたくだものです。そのため,柿はそのまま食べるのはもちろん,長く食べられるように干し柿やお菓子として保存できるように工夫されてきました。柿にはビタミンCも多く,体によいくだものです。 
                                                          参考資料「日本の二十四節気・七十二候」

2019年

10月

29日

10月30日は「たまごかけごはんの日」

 この日を制定したのは、島根県雲南市の「日本たまごかけごはん楽会」です。たまごかけごはんを通して、日本の古き良き食文化やふるさと、家族愛などを考えるきっかけとなる日になればという願いがこもっています。
 この日になった理由は、2005年(平成17年)10月30日に「第1回日本たまごかけごはんシンポジウム」が開催されたことと、この時期のたまごの品質が良いこと、美味しい新米が出回る時期であることなどからです。